BULLET HAMPUS KLANG (Gt.)インタビュー

インタビュアー : 川嶋 未来

— スウェーデンの状況はいかがですか。

ハンプス:悪くはないよ。ライヴはまったくないけどね。ほとんどのことはいつも通りさ。

— スウェーデンは集団免疫の確立を優先して、ロックダウンなどはやっていないという報道も見たのですが。

ハンプス:何というのかな、小規模なのはやっているよ。50人以上の人が集まることは禁止されていたり、学校も15−6歳くらいまでの子はやっているけど、それ以外は休みになっている。コンサートやイベントもないし、レストランでは離れて座らなくてはいけない。他の国よりは緩いみたいだけどね。

— 2月には来日公演がありました。いかがでしたか。

ハンプス:すごく楽しかったよ。日本に行くのが夢だったし。ライヴのあとも1週間日本に滞在して、True Thrash Festにも行ったし、楽しかった。ぜひまた行きたいよ。家に戻ってきてもとてもハッピーな気分でね。新しいリフを色々思いついたり(笑)。とにかく楽しかったよ。

— 時期的にギリギリでしたよね。あれより少し遅かったら、ライヴもキャンセルになっていたかもしれません。

ハンプス:俺たちも空港でアメリカのバンドに出会ってね。大きなオーケストラのバンドだったのだけど、2週間隔離になると言っていた。俺たちはちゃんとライヴをやれてラッキーだったよ。ロックダウンなどが起こる直前で。

— 日本のオーディエンスはどうでしたか。ヨーロッパと比べて違いましたか。

ハンプス:うーん、ヨーロッパとは確かに違うね。ショウにもっと没頭しているというか。あと、曲と曲の間でもとても礼儀正しいね。バンドが何を言うのか、きちんと聞こうとしてくれている感じで。まあでもワイルドでクレイジーで、とてもクールだったよ。

— 日本は初めてだったのですか

ハンプス:そうだよ。ずっと行きたかったんだけどね。旅行でも行ったことはなかった。夢がかなった感じさ。

— 会場となった渋谷は日本の中でも特別に人が多いところですからね。

ハンプス:とても奇妙な感じがしたよ。スウェーデンにはあんなにたくさんの人はいないから。特に俺は田舎に住んでいるし。あんなに人をたくさん見ることはないんだ。だけどみんな礼儀正しくてフレンドリーだったよ。

— ヘヴィな音楽との出会いはどのようなものだったのでしょう。

ハンプス:兄貴がトゥイステッド・シスターやボン・ジョヴィ、ヨーロッパなんかのテープを持っていてね。そういうメロディックなヘヴィメタルをよく聴いていたよ。10歳になるとギターを弾くようになって、その後メタリカとか、もっとハードなものを聴くようになっていったんだ。色々とアルバムを買い漁ったよ。

— トゥイステッド・シスターなどを聴いたというのは80年代のことですか。

ハンプス:そうだね。まだ6歳くらいだった。86年頃かな。

— ということは、ヘヴィメタル全盛期をリアルタイムで知っているのですね。

ハンプス:そういうことになるね。まあでも、ジューダス・プリーストとかは知らなかった。当時それほど人気がなかったし。もっとメロディックな、ラジオでかかっているようなやつばかりだけど。とりあえず当時は知っているよ。俺は70年代最後の日に生まれたから(笑)。

— 90年代に入るとスウェーデンではデス・メタルが一大ブームになりますよね。あなたもだんだんとエクストリームな方面へと向かって行ったのでしょうか。

ハンプス:何と言えばいいかな、俺は両方好きだった。小さい頃はメロディックなものが好きで、『...And Justice for All』を初めて聴いたときは、あまりにエクストリームすぎると思った(笑)。だけど、だんだん激しいものも好きになってきて、モービッド・エンジェルやナパーム・デス、カーカスなんかも聴くようになった。クリエイター・スタイルのヒプノシアというバンドもやっていたし、グラインドコア・バンドのバードフレッシュにもいた。ジグソー・テラーもやっていたしね。20歳くらいからブリットを始めたけど、いろんなスタイルが好きなんだ。

— バードフレッシュに参加した経緯はどのようなものだったのですか。

ハンプス:彼らは友達だったので、彼らが俺たちのホームタウンに来たときは、いつも見に行っていたんだ。それで、ベーシストがもっとポップなものをやりたいということで抜けてしまったときに、俺が入ることになったんだよ。とても楽しかった。7年くらい参加してたのかな。だけど、だんだんブリットも忙しくなって、たくさんのライヴをやるようになっていたからね。『Bite the Bullet』が成功して人気も出て来て。それで2つのバンドを同時に続けるのが不可能になって、バードフレッシュを辞めざるをえなかったんだ。

ー デス・メタルの台頭期はリアルタイムで知っていますか。

ハンプス:いや、当時はまだ俺も10歳くらいだったからね。最初はグロウルもとっつきにくかったし(笑)。エントゥームドの『Hollowman』あたりはそんなにヴォーカルがブルータルじゃなかったから聞けて、それ以降色々と聞くようになったのだけど。カーネイジやエントゥームドにいたヨニーがメタル・バーで働いていてね。18歳〜20歳の頃、毎週金曜・土曜にそこに通ったものさ。

— ブリットの結成時、どういう音楽をやりたいという具体的な構想はありましたか。

ハンプス:うーん、78年から84年の最高のバンドみたいなサウンドが欲しかった。トゥイステッド・シスター、ローズ・タトゥー、もちろんAC/DC、アイアン・メイデン、プリースト、サクソンみたいなスタイル。16歳のころ、ヘル・ホファーたちと3人でスタジオに入ってね。ベースはいなかったけど、何年かカバーばかりやっていた。その後オリジナルも書いてみたけど、酷すぎて(笑)。何もレコーディングしなかったよ。それでメンバーを探した。エリックとドラムのグスタフを見つけるのに数年かかった。それで01年終わりか02年初めに本格的にブリットを始めたんだ。

— 当時カバーはどんなのをやっていたんですか。

ハンプス:もちろんアクセプトを大量に(笑)。あとはアイアン・メイデン。最初に練習したのは「Aces High」だったな。あとはトゥイステッド・シスターとか。まあでもブリットと呼べるものではなかったよ。プリ・ブリットというか、まだ練習段階だった。初めてフライングVを買ったのは96年。Furbowlというデス・メタルのNicke Stenemoから買ったんだ。あのギターは俺にとって特別なものだから、今でも大切にしているよ。

— 影響を受けたギタリストは誰でしょう。

ハンプス:難しいな。最近は良い曲を書けるというのが一番大切だと思っているんだ。だから、そうだな、マイケル・シェンカーとか、マルコム・ヤング。あとはグレン・ティプトン、K.K.ダウニングとか。ヴァン・ヘイレンなんかは素晴らしいギタリストだけど、書く曲すべてが素晴らしいというわけではないだろ。

— スウェーデンのシーンはいかがですか。とてもメタルが盛んな国という印象ですが。

ハンプス:たくさんのバンドがいるよ。俺たちの地元にはMuskelrock Festivalもあるし。新しいバンドも色々と出て来ているから、コロナが落ち着いたら、また一段とシーンが大きくなっているといいね。もしかしたらバンドはプレイしたいけど、誰も見に来ないなんていう事態になるかもしれないけど(笑)。

— 最近のスウェーデンのバンドで何かオススメを教えてください。

ハンプス:Helvetets Portはとてもいいよ。スウェーデン語で「地獄の門」という意味なんだ。スウェーデン語で歌ったりもしているよ。

— 先ほどMuskelrock Festivalの名が出ましたが、これにはあなたも関わっているのですよね。

ハンプス:そうだよ、俺とジェイコブで、いつだったかな、2009年あたりに始めたんだよ。当時ジェイコブはブリットのツアー・マネージャーをやっていてね。さっきも言ったとおり、ブリットがとても忙しくなったので、俺もフェスティヴァルにはあまり関われていないのだけど。バックラインまわりを手伝うくらいで、バンドのブッキングはやっていない。最初はスウェーデンのバンドだけのフェスティヴァルというつもりだったんだ。それでSwedish Metal Heroesという意味のスウェーデン語をフェスティヴァル名にしていたんだけど、だんだん海外のバンドも増えて来て、名前を変えざるをえなくなったんだ。それでMuskelrockになったのさ。

— Muskelrockのラインナップは、フランスのSortilegeやADX、アメリカのOmen、日本のSabbatなど、非常に渋いですよね。

ハンプス:その通りだね。とても良いチョイスだと思う。残念ながら今年は開催を中止せざるをえなかったけど。一週間後にスウェーデン・ロック・フェスティヴァルがあるんだよ。これは巨大なフェスで、人もお金も桁違いなんだ。だから、俺たちはもっとマイナーだけどスペシャルなバンドを連れてこなくちゃいけないのさ。ブッキングに関してはこれまでとてもよくやっていると思うよ。

— ブリットはニュー・アルバム制作の予定はありますか。

ハンプス:家でギターを手にして、曲を書こうと努めているよ。スタジオの予約などはまだしていないけどね。最善を尽くすよ。

— いつ頃のリリースを期待できるでしょう。

ハンプス:どうだろう。いつインスピレーションが湧くか次第だからね(笑)。アルバムを完成するには時間が必要なんだよ。事前にデモをいくつも作ったり。だから今年中というのは難しいね。うまくすれば来年かな

— どのような方向性になるのですか。やはりブリットはいつでもブリットでしょうか。

ハンプス:そうだね。ここ最近の2枚の出来にはとても満足しているし。だから、もっとヘヴィメタルっぽい作品になると思う。まあわからないけど(笑)。でもジャズをプレイすることはないよ。

— お気に入りのアルバムを3枚教えてください。

ハンプス:うーん、レコードコレクションが手元にあるから見てみるよ。そうだな、つまらない答えだけど『Back in Black』。良い曲がたくさん入っているからね。すべてが素晴らしいから選ばないわけにいかないよ。それから、ジューダス・プリーストの『Killing Machine』。これも曲が良いし。マジック・アルバムだよ。3枚目はアクセプトの『Restless and Wild』。激しいし、ジャケもカッコいい。ウドの歌も素晴らしいし曲も良い。今日のところはこの3枚かな。レアな作品じゃないけどね。

— ジューダス・プリーストだと『Killing Machine』が一番ですか。

ハンプス:サウンドがヘヴィだし、『British Steel』よりラフだし。俺はこれが一番好きだな。

— 再来日を望む声も大きいですが。

ハンプス:ぜひまた日本に行きたいよ。まずアルバムを作るべきなのかもしれないけど。曲作りを急がないといけないね。とにかくまた日本には行きたい。

— では最後に日本のファンへのメッセージをお願いします。

ハンプス:何を言えばいいかな(笑)。日本の友人たちにヘヴィメタル・カミカゼを送るよ。早くまた日本に行って、一緒にサケを飲んで楽しみたいね!

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